人生

オタクアラサー共働き嫁の雑記・資産運用記録(投資は自己責任です)。JIN AKANISHI / KAT-TUN / 阿部亮平

『Remember Pearl Harbor』

 

炎上しませんように…。

 

 

 

 

 

 

 

今年は終戦から75年。

 

各テレビ番組で、第二次世界大戦にまつわる特集が組まれています。私の家族で戦死した者も空襲で被害を受けた者もいなかったのであまり身近ではなかったですが(その時代に生きてもいないし)、昔から私は戦争について興味があって(興味、と言って良いのか憚られるが)色々見ている方かなーと思っていました。が。

 

 

昨日、TBSのNEWS23という番組で放送されていた、原子爆弾の科学者と広島の被爆者の方々との対談を見て衝撃を受けました。

 

 

放送ではかいつまんだ内容となっていましたが、こちらが15年前の取材の様子のようです。残念ながら皆さん既に他界されており、もうこのような場を設けることはできません。出来るのならこのインタビューがYouTubeでノーカットで見られると良いんだけど…。

 

 

 

 

文字情報だけなので分かりにくいですが、科学者の方は本当に真っ直ぐに前を見つめて「私は謝罪しない」と言っていました。謝罪をしてほしいという被爆者の言葉を通訳し終える前に遮って「No way.(冗談じゃない)」と。今でもなお、原子爆弾の投下が「正しい行いだった」とおっしゃっていました。例え、資料館を見学したとて、原子爆弾による被害・苦しみを受けてきた方が目の前にいたとて、原子爆弾を日本に投下し戦争を終わらせたという事実が彼の正義なのです。私はどちらの言い分も理解できるなあと思いました。

 

 

 

映像の中で彼が言っていた「Remember Pearl Harbor」という言葉、恥ずかしながら私は昨日初めて知りました。Twitterで検索すると、Hiroshimaのツイートに引用リツイートしながら「Remember Pearl Harbor」と書き込む人々を見つけました。私は、「これじゃあ歴史認識の理解なんていつまで経っても深まらないや…」と悲しくなってしまいました。

 

 

 

結局、自分達が学ぶ歴史はあくまでも「自国で起きた出来事」です。「自国の出来事」とは異なると思ってます。自国が他国に対して起こした出来事については教科書にするとほんの1行にも満たない内容です。まあ最近の教科書がどうなのか全然分からないので何とも言えませんが…。人間の性なのか、被害を被ったことに関しては事細かく語られることも多いですが、逆の立場の意見というのは自らが探さないと辿り着けないことが往々にしてあります。今回私が観たのは、まさしくそれを体現していました。

 

 

 

8月6日当日、一時トレンド入りしていた#ひろしまタイムラインのツイートに関して「英訳して全世界に広めるべき」というツイートも散見されましたが、ただ英訳するだけでは絶対に絶対に意味がないです。自分達の被害者意識だけ相手に押し付けたところで、それはただの不幸の押し売りです。それを読んで相手が全員「こんなことが起きていたのか、原子爆弾は恐ろしい兵器だ」と理解して同情してくれるとでも思っているのか。

 

 

 

しかしながら、実体験を語る方々が少なくなりつつある現代において、この日に起きた出来事、この日以降に起きる様々な事を身に迫って実感できるこの取り組みは非常に有意義なものであると思いました。それぞれに家族があり、生活があったのです。

 

 

 

 

 

 

世界平和を願うとはいっても、核廃絶に関しては全世界で賛否が別れています。世界唯一の被爆国である日本が、アメリカの核の傘に守ってもらっている矛盾もあります。

 

 

「原爆はこれだけの被害をもたらした。こんな悪魔の兵器は絶対に世界で二度と使ってはならない」という意見の一方、「戦争を早期に終わらせる手段として原子爆弾を投下した。もし投下せず戦争が続いていたら被害はより甚大であっただろう。核保有は戦争に進まないための抑止力」という意見があることも認めなければなりません。しかし、核兵器は世界からなくなってほしい。誰も核兵器使用の恐怖に怯えることがない世の中であってほしい。特集の最後に高校生が語った、「お互いの立場の意見を考えていかないといけない」という言葉がまさしくそうだと思いました。

 

 

 

 

 

このTBSの特集を夫と一緒に観ていたのですが、夫は「研究の軍事転用は研究者としてご法度なはずなのに、この人はずっとこの意見なのか…」と絶句していました。研究については何も分からないので私は語らないことにします。

 

 

 

 

 

 

 

 

『戦争をしてはいけない』というのはすべての人間の願いだと思っていますが、「戦争をしてはいけない理由」は人それぞれ。

 

 

 

大人数が被害に遭い、後遺症に苦しめられる兵器が悪、ということではない。一人の隣人、友人、家族が様々な手段によって生きるか死ぬかという二択に迫られなければならない『戦争』が悪である、と私は考えました。その手段として一番取ってはならない選択が「原子爆弾を投下する」ということなのではないでしょうか。とにかく、戦争は絶対に良くないし、してはいけないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、今もどこかで戦争が起きている。