人生

オタクアラサー共働き嫁の雑記・資産運用記録(投資は自己責任です)。JIN AKANISHI / KAT-TUN / 阿部亮平

人間は忘れてしまう

 

 

悲しいかな、事実。

 

東日本大震災から今日で9年が経ちました。

 

地震が起きたそのときのこと、覚えてますか?私は最近忘れてきちゃいました。

 

 

 

当時私は新潟にいて、大学も春休み中だったので夜のアルバイトまで暇していました。こたつに入ってミヤネ屋を見ていたら、東京のスタジオの中継が流れたのと同時くらいに船に乗っているかのような大きな揺れを感じました。画面に映る東京は物凄い揺れ方。一生懸命東京の様子をリポートするキャスターの方に向かって宮根アナウンサーが「大阪も揺れています!」と謎に伝えていたのは今でもよく覚えています。今の大阪の状況はどうでもええねん、と思いながら長く続く横揺れを感じていました。

 

 

そこからあれよあれよと震度の情報が出たかと思いきや、大津波警報が伝えられました。海無し県育ちだった私は今まで津波というものが何なのか実感したことがなかったので、映し出される映像に絶望しか感じませんでした。テレビの向こう側ではあちこちで火事が起き、鉄道各線がストップしていました。携帯電話の電話はおろか、メールも繋がらなくなりました。

 

 

アルバイトに行き、お客さんから「地震大変だね、実家と連絡とれた?」みたいな会話をしたような気がします。その日はなんだか眠れなくて、アルバイトから帰宅してからもずっとテレビを見ていました。すると朝方4時頃にまた大きな地震が。長野県と新潟県の境目あたりを震源地とした地震でした。福島の原子力発電所もなんだか危ないみたいだし、ああここで日本終わっちゃうのかなと絶望的な気持ちになったことだけ覚えています。

 

 

12日の朝になって、停電が復旧したのか、祖母の家に電話をかけたら繋がってめちゃくちゃ安心しました。

 

 

 

もう、それくらいしか覚えていません。私は帰宅難民にもならなかったし、ライフラインが途絶えることもなかった。地元は電気が止まったようでしたが。身に染みて困ったことが特になかったから、だんだんと風化してしまいました。

 

 

 

 

震災後1年くらい経ったときにアルバイト先のお客さんから、「一度は被災地を見に行った方がいいよ」と言われてからあっという間にこんなに時が経ってしまいました。KAT-TUNのコンサートで5年前に仙台に行ったときも、じんちゃんの代替公演で昨年仙台に行ったときも、結局被災地域に足を運ぶことはありませんでした。でも去年のじんちゃんの代替公演に行ったときに高速バスを使ったのですが、仙台付近の街並みが新しい感じだったな、という印象はありました。果たしてそこが津波の被害に遭った地域だったのかは勉強不足で分かりません。

 

 

 

でも、毎年この時期になるとやっぱり地震津波の怖さを改めて感じるわけで。それを後世に伝えていくのが大事だなと思います。歴史から学ぶことができる人間は強い。歴史学の先生が仰っていた、大学時代の一番の教えでした。